最優秀賞受賞作品②
今でもショートヘアでいられる私
                            髙﨑 温

克服とは、努力して困難にうちかつこと。困難を乗り越えること。広辞苑より。

 私はいじめられていた経験がある。小学校低学年の頃に始まったいじめは本当に些細なことからスタートした。

 キャラクターの描いてある糊を持っていた。髪型がショートカットだ。本当にどうでもいいような内容がいじめに発展する。このいじめの首謀者たちの思考を理解する事は不可能だ。一度ターゲットにされてしまえば立ち居振る舞い、全てが否定されて居場所を奪われていく日々。周りに助けてくれる人などいない。いじめが開始すると皆、矛先が自分に向くのを恐れてひっそりと息を潜めている。

 そんないじめが二年ほど続き、やっと解放されると期待していたクラス替えでもまた首謀者と同じクラスになり、心が壊れそうになった。そこから私は学校へ通うことができなくなった。

 朝、目覚める事ができない。不思議なことに学校への欠席連絡を入れると気分が少し良くなり家では普通に過ごせていた。ただ家から出ると学校の人に会うのではと怖くなり徒歩での外出もできなくなっていた。普通が何だか分からなくなってきて、誰も信用できなくなった。友達が何かもわからなくなっていた。

 こんな日々を克服できたのは母と過ごした時間。なかなか自分の気持ちを話すことができず、学校の話になると口が重くなる。

 学校へ行けない自分が悪いと思っていたから。普通に過ごせない自分がおかしいと思っていた。いじめられる原因はきっと自分にある。今思えばこの負のスパイラルにハマり抜けられず、自己肯定感がズタボロになり、何をするにも一歩が踏み出せず前へ進むこと、自分が自分であることを否定していた時期だと思う。

 この時、母がかけ続けてくれた言葉が「いいじゃない」だった。やりたい事も、やる気すらない私に「いいじゃない。休息も必要」朝起きられない私に「いいじゃない。そんな日もある」学校へ行けない私に「いいじゃない。今日は何食べようか」学校の話をしない私に「いいじゃない。話したくなったらいつでも聞くよ」

 そうやって私の心を無理やりこじ開けようとせず、じっと待っていてくれたのだ。毎日こうして母と過ごしているうちに、学校だけが自分の生きるべき社会だと感じていた自分の考えが違ってきた。

 私の生きている世界は本当はとっても広くて大きくて、今は見えていないものがほとんど。でもいじめに遭っている時の自分には、学校が全てでクラスメイトと先生で構成された社会の中に私がいる。そう思ってしまっていた。孤独、怖さ、辛さ、虚しさ、恥ずかしさ、そういった負の感情により押しつぶされて自分を見失っていたし、何もかもが見えなくなっていたと思う。

 一人の人が言い始めた言葉の暴力。身体的暴力も含めて、人が人を殺す。心を殺されてしまえば立ち直ることなど容易ではない。

 私は転校をして新しい学校へ通うことにした。私立受験を選んだのは合格を勝ち取り自分自身で学校を決めたと私に自信をつけさせるためだったと思う。中学校も受験をして自分の選んだ行きたかった学校へ進学することができた。

 前向きになることができず、ただ嫌なことを避けていた日々があったからこそ今があると思う。今でもいじめがあった学校のことを思い出すとギューっと胸が痛くなる。そんな日は母と長い長い話をする。そのうち笑顔で笑っている自分がいて何で悩んでいたのか不思議な気分になる。

 勝たなくていいから、負けない心をもちたい。独りでいられる強さが欲しい、でもそれはいじめによって得られるものであってはいけない。

 たった一人でいい。そっと心に寄り添ってくれる人がいたなら変わっていく先の人生。

 卑怯なマネはしない。まっすぐに生きていきたい。

 素敵な大人になるために。今はじっと努力をして、ゆっくり大人になっていこうと思う。

 がんばるのは心が元気になってからで充分間に合う。今、辛い思いをしている人がたくさんいる。救ってもらえた私は今、誰かに寄り添える、そんな人になりたいと思っている。



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